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大阪高等裁判所 昭和43年(う)1084号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕被告人本人の論旨は、被告人は、中島正樹から暴行を受けたことはあるが、中島に対して暴行を加えたことはない、というのであり、弁護人森本輝男の論旨は、被告人は中島から殴る蹴るの暴行を受けたので、自己を守るためやむを得ず、手を振り回したり、足で蹴つたりして中島の攻撃を防いたものであるから、被告人の行為は正当防衛に該当する、というのであつて、いずれの論旨も被告人は無罪であるのにかかわらず、被告人に対して有罪の言渡をした原判決は、事実を誤認したものであると主張する。

よつて案ずるに、<証拠>を総合すれば、被告人が、昭和四二年四月二五日午後六時三〇分ごろ、上芝博の運転する普通乗用自動車の助手席に同乗して京都市南区九条通を東進中、中島正樹の運転する沖津運送店の普通貨物自動車と並進した際、互いに接触しそうになつたことから中島と口論となり、立腹した中島は後続の右運送店所属の普通貨物自動車二台の同僚運転手らに応援を求め、旧千本通へ右折しようとした被告人の車を三台の貨物自動車で前後から挾んで停止させ、中島は被告人の車のボンネットにとび乗つてその運転席の横にとび降り、中島及び同人の同僚において運転席の上芝博を引張り出そうとしたり、殴つたり蹴つたりし、助手席にいた被告人が中島らに対して「何をするのか」と文句を言うや、中島は助手席の方へ回り被告人の胸倉を掴んで、被告人を引きずり降ろしたうえ、被告人の車の後方へ引張つて行き、被告人の顔面を手拳で殴打して、被告人の眼鏡を飛ばして地上に落下させたため、そのレンズの一枚が破損したが、被告人及び中島はなおも口論しながら九条通北側の歩道上に上り、中島の同僚三、四名も付近にきて、口々に「やつてしまえ」とけしかけていたところ、被告人のほうから中島に「警察へ行つて話をつけよう」と持ちかけ、中島もこれに応じて一緒に東に向つて歩き出したが、中島及び同人の同僚三、四人は、被告人の左右及び後方を囲むようにして歩き、被告人側は金岡竜雄が被告人及び中島らの約五メートル後方を歩き、御土塀通への入口にさしかかつたことが認められる。しかし、その後の情況については、これを具体的且つ詳細に述べているのは、証人中島正樹の供述と被告人の供述だけであるところ、両者の供述は重要な点において鋭く対立しているので、各供述の信憑性について考察しなければならない。先ず証人中島正樹の言い分は、原審及び当審(尋問調書)における供述を総合すると、「御土塀通入口付近にさしかかつたとき、被告人が『話がある。一対一でしよう。こつちへこい、』と言つて、私を引つぱつて御土塀通を北へ入つて行き、約一五メートル入つた地点で被告人が私の胸を持つて私を七、八回殴つたり、蹴つたりしたそれで私も被告人を殴つたり蹴つたりしたが、足は被告人にあたらなかつた。手はあたつたと思う。被告人はそのとき眼鏡をかけていなかつた。その時の位置は、被告人は一番北に、私はその南側に、私の横、ちよつと後の方に私の同僚達がいた。被告人に私のカッターシャツも破られた。そうしているときパトカーが来たので、逃げた。」というのであつて、右言い分によれば、被告人が中島から仕掛けられた喧嘩を買つて、御土塀通において積極的に中島に対して暴行を加えたことになる。しかしながら、他方被告人の言い分をみるに、被告人の司法巡査及び検察官に対する各供述調書並びに原審及び当審(質問調書)における供述には、相互に多少のくいちがいがみられるが、これを総合すれば、概ね「御土塀通のところへ来ると、中島が急に私を御土塀通の中(北)へ約四メートル引張り込み(当審における供述のみ『押し込み』と述べている)、私の顔面を二、三発殴つて、私をそこに置いて引揚げようとしたので、私は中島に『眼鏡をこわしやがつて、待て』と声をかけた。すると中島の同僚は中島に『やつてしまえ』とけしかけ、中島は私の胸倉を掴んで私を入口から北へ約一〇メートル引つぱつて行つた。そのとき私は思わず中島のカッターシャツの首のところを掴んだので、中島のカッターシャツのボタンが一つとれた。中島はさらに私を数回殴つたり蹴つたりし、そのため私の眼の付近から出血した。中島はなおも私を奥(北)へ引張り込み、私の顔面を殴りつけてくるので、私は、このままではどうなるかわからないと恐ろしくなり、夢中で手を振り回して中島を殴りつけたり、足で蹴つたりした。私の右足は中島の身体に当つたと思う。そうするうちに中島の右手が左眼の下に強くあたり、そのため、出血がさらにひどくなつたので、私は九条通りより一つ北の通りの角のところで隙を見て北の方へ逃げかけたら中島も少し追いかけてきたが、丁度パトカーが来たので、中島とその同僚は西の方へ逃げて行つた。殴り合つているとき、私が北に、中島は南になり、そのさらに南に中島の同僚がぐるりをとりまいていた。」というのであつて、右言い分によれば、被告人は中島からの暴行に対し、消極的、防衛的であつたことになる。そこで、証人中島正樹と被告人の各言い分のいずれを信用すべきかについて検討するに、唯一人の目撃証人である筈の証人金岡竜雄は、原審においては、「被告人は車から引きずり出され、そこでしばらくもめてから歩いて行つた。相手は六人おり、やつてしまえというようなことを言つていた。そのうち被告人は眼鏡をつぶされた。私はとめに入つたが相手は被告人を路地の方へ連れていつた。そして路地の中で被告人は殴られたので、もがいているのを見た。被告人が手を出したのは路地に入つてからで、殴られるだけでは損だから、あばれて手を出したものと思う。相手六人程は、被告人をとり囲み、数人はやつてしまえと言つていた」旨、場所的関係こそ漠然としているものの、概ね被告人の言い分と符合する供述をしておきながら、当審(尋問調書)においては、「御土塀通の六―七メートル手前のところで、中島が被告人の顔を殴つていた。そのとき眼鏡が下に落ちて割れた。御土塀通へは中村と中島とが一緒に入つて行つたが、何故入つて行つたのかは分らない。御土塀通を五メートル程入つた地点では中島と被告人は口では言い合ついたが、殴り合いはなかつたと思う。そして二人はなおも奥の方へ行つたので、もめると思い、一一〇番へ電話しようと考え南の方へ出て来たらパトカーの音がした。奥へ入つて行くときは、被告人と中島は一緒になつて、それから中島の連れが少し(二―三メートル)離れて南側に輪になつており、その二―三メートル後を私がついて行つた。中島はパトカーが来たので逃げた。被告人は逃げずにいた。奥へ入つてから中島と被告人が殴り合つているところは見ていない」旨、原審における供述と実質的に異なる供述をしているので、同証人の証言からも断定的なことは判明しない。しかしながら、すでに認定したごとく、最初、中島及びその同僚において積極的に且つ殆んど一方的に被告人及び上芝博に対して暴力をふるつていること、警察へ行つて話をしようと言い出したのは被告人のほうであること、中島の同僚は三、四人いて終始被告人をとり囲むようにして中島をけしかけていたこと等の情況事実が認められるのであつて、右の各事実に照らすと、御土塀通において被告人のほうから積極的に中島に対して暴行を加えたという証人中島正樹の前記の言い分はにわかに信じがたく、被告人の言い分は否定し去れないものがあるといわなければならない。そして、被告人の言い分によつても、被告人が中島に対して殴つたり蹴つたりして暴行を加えたことは明らかであるが、被告人の言い分によると、被告人が中島に対して暴行を加えたのは、御土塀通において中島から顔面を殴られる等苛烈な暴行を受け、出血したりしていたので、このままではどうなるかわからないと恐ろしくなり、夢中で手を振り回して中島を殴りつけたりしたうえ、隙を見て逃げたというのであるから、右によれば、被告人の行為は、急迫不正の侵害に対し自己の身体を守るためになされたという一面を有するものといえる。そこで、被告人の行為が防衛意思に基づいてなされたものであるのか、己むことを得ないものであつたか否かについて検討するに、被告人の言い分によれば、中島は御土塀通の入口から約四メートル北の地点で、被告人の顔面を手拳で二、三回殴打して一且立ち去りかけたのであるから、被告人がそのまま我慢して黙つていたならば、その後中島から暴行を受けることはなかつたものと考えられるのであるが、そのとき被告人が中島に対し「眼鏡をこわしやがつて、待て」と声をかけたことから、再び中島から暴行を受けるに至つたというのであるから、被告人は自らの言動により中島の暴行を招いたことになり、このことはその後の被告人の中島に対する行為が防衛意思に基づかず、攻撃意思に基づくものであると推認する情況事実とされるおそれがないとはいえないが、すでに認定したように、被告人は、さきに中島の暴行によつて眼鏡を破壊され、さらに御土塀入口において中島から顔面を二、三回殴られた後であるうえ、中島には同僚が三、四人ついていたのであるから、被告人のほうから中島に対して積極的に攻撃を加えたり、或いは中島の新たな攻撃を挑発したりする意図を有していたものとは考えられず、被告人の右の言動はせいぜい中島に対する憤まんの気持を吐露したに過ぎないものと考えるのが相当である。次に、被告人が中島からの攻撃にあいながら逃げないでこれに応戦したことが、被告人の中島に対する攻撃意思を示すものであるか、また自己の権利を防衛するためにやむを得ない限度を超えるものであるか、について考えるに、被告人に対する当審の質問調書中に、「前(南)には中島とその同僚三、四人がおり、しかも被告人は以前に、人夫に追いかけられて逃げたところ、突かれて倒れ、ひどいめにあつた経験があるので、後向きになつて逃げることはしないようにしていた。それで逃げる隙がなかつた。」旨の供述があり、右供述にも、にわかに排斥しがたいものがあるので、被告人が逃げないで応戦したことをもつて、ただちに被告人に攻撃意思があつたと断定することはできないし、法は急迫不正の侵害を受けた者に対し逃避することを要求していないのであるから、単に被告人が逃げないで応戦したからといつて、ただちに自己の権利を防衛するためにやむを得ない限度を超えたものと断定することもできない。むしろ、前記被告人の言い分として示したような中島の苛烈な攻撃に対し、被告人がこれを防ぐため、中島のカッターシャツを掴んだり、中島に対して手を振り回したり、足で蹴つたりしたことは、被告人が自己を防衛するために己むを得ない限度を超えたものではないと考えるのが相当である。もつとも被告人の司法巡査に対する供述調書には「中島は私の胸倉を掴んで五―六メートル北へ引つぱつて行きました。その所で中島は私の顔を一、二回こぶしで殴りつけ、更に足で私の胸辺を蹴りつけたのです。……私は顔が痛かつたので手でおさえてみますと、手に血がついておりましたので怪我をしたのに気付き、かつとなつて夢中で手を振り回して相手に殴りつけてやつたので、どこをどう殴りつけたのか覚えておりません。……中島は又もや私の胸倉をすごい力で掴みしめあげるようにして足早に更に奥の方(北の方)へ約一〇メートル位引つぱつて行つたのです。私は中島に引つぱつて行かれるのに抵抗しようとして思わず、中島の胸倉を掴もうとして中島のカッターシャツを掴んだのです。そうして奥に行つてから中島はいきなりこぶしで私の右眼をすごい力で殴りつけたのです。……私はますますかつとなり、このままやつたらどうされるかわからんと判断すると共にこんな奴は殴りつけてやらんとどうなるか知れんと思い、夢中で相手の中島に蹴りつけたり殴りつけたりしてやりました」旨のあたかも被告人が防衛意思とともに攻撃意思をも併せ有していたかのごとき供述がある。しかしながら、他人から殴られたり蹴られたりして出血したときに「かつ」としない人間は殆んどいないのであつて、そういう意味では右供述調書中の供述記載は真実を記載したものといいうるのであるが、およそ、相手からすでにある程度の攻撃を受けて、これに対し憤激した者が、さらに相手から反復継続される攻撃に対して、自己を防衛する目的で防衛に必要な限度の反撃を加えたときは、仮りに防衛意思とともに、多少、攻撃的な心情があつたとしても、それはむしろ通常の事態であつて、その故に正当防衛行為の要件としての防衛意思を欠くに至るものと解すべきではない。従つて、被告人の司法巡査に対する供述調書中に右のような供述記載があるからといつて、被告人に防衛意思がなく、正当防衛行為としての要件を欠くものであるとすることはできない。これを要するに、被告人が中島に加えた暴行は、被告人が中島からの急迫不正の侵害に対し、自己の身体を防衛するため己むを得ずになした行為であるとの疑いが残るので、この点において犯罪の証明が十分ではないというほかはなく、従つて、被告人に対して無罪の言渡をなすべきであるのにかかわらず、有罪の言渡をした原判決には事実の誤認があるといわなければならない。論旨は理由がある。(奥戸新三 佐古田英郎 梨岡輝彦)

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